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いにしえの文化が残された山

山形にある標高414メートルの羽黒山、1984メートルの月山、1500メートルの湯殿山を総称して出羽三山と呼びます。出羽三山は古くからの修験道の聖地として知られ、僕が暮らしている西川町の志津という集落は月山の標高700メートルほどにあります。出羽三山に含まれる山は時代によって代わり、湯殿山の代わりに葉山や鳥海山が出羽三山に入ることもありました。

出羽三山に参ることを今でも「生まれ変わりの行」と語られることがありますが、それは現世仏である観音菩薩の霊場羽黒山、過去仏である阿弥陀如来の霊場月山、未来仏である大日如来の霊場湯殿山を巡り、修行によって観念的に生まれ変わることを意味し、現在、過去、未来の「関」を、仏の引導によって「渡って」行くことから、これを羽黒山では「三関三渡」といいます。
また、湯殿山側からは、羽黒山を胎蔵界、月山を金剛界、湯殿山を金胎一致の密厳浄土として、それぞれの山を道場、宿と見立て「三山三宿」といいました。

出羽三山という言葉でひと括りに考えられることが多いのですが、江戸時代には天台系の羽黒派と真言系の湯殿派があり、山の文化は一様ではありませんでした。明治時代以前は、三山の中で湯殿山が最も多くの人の信仰を集め、庶民からは「おく参り」と呼ばれ、参拝者も多かったことから、羽黒派はその支配権を手に入れようと、江戸時代に幕府に三度の訴訟を起こしたこともありました。

また、山の文化をいっそう複雑にして分かりにくくしているものに、明治時代の廃仏毀釈運動があります。これによって、羽黒山寂光寺というお寺であった羽黒山は、強制的に潰されて、現在は出羽三山神社という神道の管理する山になりました。
しかし、羽黒山からは完全に仏教が退けられたわけではなく、奥の院であった荒沢寺と麓の手向町には正善院や黄金堂といった寺院が残り、現在、羽黒山の山伏の修行である「秋の峰入り」は荒沢寺でおこなわれるものと、出羽三山神社がおこなうものが別々に存在するということになりました。

秋の峰入り修行は掟によって禁じられているので語ることができませんが、僕は一度、出羽三山神社の修行にも参加してみました。やはり神道に変わったときに抜け落ちてしまった文化も多かったので、僕は古いやり方を現在でも続けている荒沢寺の秋の峰入り修行に参加することが主になっています。どちらが優れているという話ではなく、昔の人たちがどのように自然と向き合い世界を把握しようとしていたのか、観念だけでなく身体性を持って掴んでみたいという自分の関心には、古風を残す荒沢寺の修行が合っているのではないかと考えたのでした。
こうした山伏の文化は秘密結社ともいえるもので、とても古い由来を持っていると推測されます。類似する文化としては福島で行われている「ハヤマごもり」があります。「ハヤマ」とは集落近くの小高い山のことで、標高が高い「ミヤマ」に死者の霊が登って行く前に、しばらく滞在する聖なる山のことをいいます。ひいては祖霊が宿る場所、神が宿ると考えられる共同体の聖地といえる場所のことです。
福島市松川町金沢では,旧暦11月16日から3日間、ハヤマごもりとして黒沼神社のお堂にこもる習俗が残されています。お堂では、農作業の様子を演じる儀礼や、性的なモチーフを持った儀礼がおこなわれ、ノリワラと呼ばれるある種のシャーマンのお告げを聞き、かつてはそのお告げによって村の運営が決定しました。

ハヤマごもりや山伏修行のような習俗は成人儀礼の要素があり、『秋田・真山』でも述べましたが、八重山の祭りや、ニューギニアやインドネシアなど遥か南方の島々の成人儀礼とも共通点が見出せるもので、民俗学者の柳田國男は、このような文化を「本来一つの根源に出ずることは、比較をした人ならば疑うことができぬ。」と述べましたが、それが本当に一つの文化から派生したものなのか、たまたま似ているだけなのか、とても興味深く思っています。

僕が山伏の世界に足を踏み入れて10年以上の年月が経ちましたが、山伏が山に入るときは、「山に登る」のではなく「山に潜る」ような気がしています。
月山から湯殿山へ向かう道の境には、装束場という場所があり、そこでは装束を整え、ワラジを履き替える習俗がありました。こうした場所は「わらじぬぎ石」とか「わらじ塚」などの名前がついて、熊野や木曽御嶽山をはじめ、日本各地の霊山の中にかつてそこでワラジを履き替えていたと伝えられる場所があります。これは修験道の葬送儀礼に由来する習俗で、もともとはイザナギ・イザナミ神話の中で、亡くなったイザナミを追って黄泉の国を訪れたイザナギが、イザナミの腐乱した姿をみてしまい、恥をかかされたと怒ったイザナミから逃げ、一息ついだ黄泉比良坂で、死の汚れを禊ぐためにワラジを履き替えた物語に因んでいます。それが心身を清める作法の一つになったのでした。
山伏は山中で唱える「六根清浄」という言葉があります。「六根」とは視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚といった人間の五感に意識を加えたもので、日常の経験のなかで様々な事物に触れることで濁ってくる六根を、山と向かい合い言葉を唱えることで清浄な状態、赤ん坊が産まれたばかり頃の、はじまりの姿に立ち戻ろうとするのです。
それと同様に山伏は、山の各所にある物語の中に潜ることでも、自らを観念の中で物語化して原初の神話の状態に戻ろうとします。山には重層的な言葉の海が広がっているのです。
日本中の登山道のほとんどは、山伏が作ったものといわれます。注意深く道を観察してみると、山伏が作り上げた物語が残され、そこに深い物語の世界の入り口があることに、きっと気がつくはずです。

出羽三山の地図はこちらから
https://yamap.co.jp/map/8087

坂本 大三郎

坂本 大三郎

東北、出羽三山を拠点に活動する山伏。春には山菜を採り、夏には山に籠り、秋には各地の祭りをたずね、冬は雪に埋もれて暮らす。美術作家として「山形ビエンナーレ」、「瀬戸内国際芸術祭」等に参加。著書に『山伏と僕(リトルモア)』、『山伏ノート』。