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山岳信仰の始まりに出会う山

日本文化の中で山はとても大きな意味を持ってきました。山は神や仏といった聖なるものが宿る場所と考えられ、民俗学的には、人が亡くなると、魂は山へと登り、長い年月を経て山に宿る神となり、里で暮らす子孫たちを見守るのだとされ、それが農耕と結びつくと、山に宿った神が春に水の神となり里に降りてきて、夏には作物を育て、秋には収穫の神となり、冬にはまた山に戻っていくという、循環の思想が生まれました。

そういった山に対する信仰はずっと古くから日本列島の文化に存在してきた……そう漠然と考えられることが多いように感じますが、自然崇拝信仰を持っていた縄文人たちは、実は僕たちと同じような山に対する信仰は持っていなかったと考えられています。

山を聖なる他界として考え、山の神を信仰する文化がどこからやってきたのかに関して、人類学者の中尾佐助や佐々木高明が提唱した照葉樹林文化論では、中国雲南省を中心とした照葉樹林帯で暮らしていた人たちが持っていた文化が伝播したものではないかと考えました。その他にも、発酵茶、養蚕の技法、麹発酵酒、大豆の発酵食品、ナレズシ、コンニャク、モチ、稲などが海を渡って日本列島にやってきたと考えられ、研究の進展によっていくつかの修正がなされましたが、日本文化の原郷をアジアの照葉樹林帯にみることは大枠では間違っていないのではないかと僕は思っています。

ではその山の信仰はどのように日本列島と関係持っていったのでしょうか。大陸や朝鮮半島との窓口であった九州北部の山々には、それを紐解く鍵が残されています。

福岡県と大分県にまたがる英彦山は、山岳信仰を担った山伏が拠点にした修験霊場としてよく知られています。英彦山はもともと「彦山」と書いたものが、1729年に霊元法皇の命によって「英」をつけて英彦山となり、またアマテラスの子であるアメノオシホミミを祀ることから、太陽の子ということで「日子山」でもあったとされます。

英彦山にはいくつかの登り口があり、僕はその中の別所登山口から登ったことがありました。すこし歩くと明治時代の廃仏毀釈で潰されてしまった坊舎跡があり、奉幣殿を通り、山道に入り、下宮や宗像三神を祀る中津宮を抜け、上宮がある中岳山頂までは2時間ほどでした。

興味深かったのは、山頂の少し下にあったお堂で、廃仏毀釈以前は修験道の開祖とされる役小角が祀られていたそうですが、明治以降はさらに古くから祀られていたという高産霊神を戻し祀っているとのことでした。

高産霊神は高木神とも呼ばれます。九州北部には48の英彦山の末社があり、そこでは英彦山の祭神であるアメノオシホミミではなく高木神が祀られ、英彦山自体の祭神も、もともとは高木神であったそうです。

高木神の名にある「高い木=柱」は民俗学では、聖なるものが宿る依り代だと考えられ、日本各地の祭りの中でも祖霊や神仏を招き、宿らせる装置として多く目にします。また英彦山の縁起には、「高木」が「鷹木」の意味を持ったのでしょうか、「鷹」が英彦山の神として登場します。この「柱」や「鳥」をキーワードに、九州や隣接する地域を見回してみると、とても興味深い文化を見つけることができます。

山口県下関市にある忌宮神社では「数方庭(スホウテイ)」という奇妙な名前の祭があり、人々に害を与えた怪鳥を射って穴に埋め石で覆ったものの、なお祟るので鳥の霊を鎮めるために、20〜30メートルほどある「竹竿(柱)の先に鳥を象った鳥毛と鈴をつけ」歩いて石をめぐるという祭りがおこなわれています。

「柱の先につけられた鳥」ということでは、九州北の玄界灘に浮かぶ対馬で、人が亡くなり葬儀をすませた後、海近くにある安楽堂という場所に遺体を安置するのですが、安楽堂の上には、柱が建てられ、その先端には鳥がつけられます。この鳥が死者の霊をあの世に運んでくれると考えたのだそうです。

また、対馬から海を隔てて50キロほどの距離にある朝鮮半島では、集落の入り口や境界などに祀られる「ソッテ」という柱の先端に木でつくった鳥をくくりつけているものがあり、「ソッテ」は「スサルテ」とも言い、目に見えないおそろしいものをあらわす言葉でした。それが日本に渡ってきて「数方庭」の由来になったという説もあります。

「ソッテ」は日本語の「ソト」という言葉と関連があり、対馬では天童と呼ばれる太陽の子=日子への信仰があり、その聖地が禁足地として「オソロシドコロ」とか「ソト」と呼ばれています。「ソト」の傍らには高木神が祀られていることも興味を惹かれます。

『魏志倭人伝』には対馬を治める者を「卑狗(ヒコ)」と記していますが、「卑狗」は「日子」や「彦」をあらわす言葉で、それをふまえて考えると、英彦山という山の名の由来は記紀神話のアメノオシホミミというよりも、もっと素朴な太陽信仰にあるのではないかと僕は感じます。

「日」と「鳥」に関することでは、中国貴州省のミャオ族には、「10の太陽のうち9つが矢で射落とされ、残された太陽が隠れてしまったために世界が暗闇に包まれ、太陽を誘い出すためにニワトリが美しい声で鳴き、世界が明るくなった」という神話があります。このような神話を「射日神話」といい、その神話が別の地域では、太陽を象徴する存在として射られる「三本足のカラス」が登場したり、「天岩戸神話」に転じたり、枝葉のように広がり、伝播していっているのですが、ここまで紹介した英彦山をはじめとする諸々の文化も、その類型であったり、なんらかの影響を受けたものだと考えることができそうです。

このように「太陽・鳥」や「柱」といったキーワドを持って、アジア的な視野を入れて英彦山をみてみると、国内の文化だけでは分からない側面があらわれてきます。

また英彦山周辺の、香春岳や宝満山や六郷満山や宇佐八幡と初期修験道と鉱山のつながりに関しても、日本人と山の文化を考える上では避けては通れないテーマを孕んでいます。そのあたりのことは、また機会があれば。

英彦山の地図はこちらから
https://yamap.co.jp/map/204

坂本 大三郎

坂本 大三郎

東北、出羽三山を拠点に活動する山伏。春には山菜を採り、夏には山に籠り、秋には各地の祭りをたずね、冬は雪に埋もれて暮らす。美術作家として「山形ビエンナーレ」、「瀬戸内国際芸術祭」等に参加。著書に『山伏と僕(リトルモア)』、『山伏ノート』。