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天まで届け、夫婦の祈り

甲府盆地にいると、いつも探してしまうオベリスク。「尖塔」と訳されるこの巨岩は、ハイカーには知られた鳳凰山のシンボルで、地蔵岳の山頂にある。ここから南に観音岳、薬師岳と続く天空の稜線は、甲斐駒ヶ岳から間ノ岳あたりと向き合って連なるので、その展望は第一級。ときに鳳凰三山ともいう、日本百名山の一座でもある。

日ごろの営みの中にある、さまざまな祈り。その視点でこの山をみたとき、ぼくはまっさきに賽の河原を思い出す。オベリスクのすぐ近くの砂礫地に数多の「子授け地蔵」が立ち並ぶ場所で、子宝を願う夫婦がここまで来て一体を持ち帰り、こどもを授かったら、そのお礼に新しい一体を加えて二体を返しにくるのだ。ひとむかし前の風習だというが、登山を嗜むわけでもない、麓で暮らす男女が重い石像をここまで担ぎ上げるわけだから、強い願いを胸に必死に登ってきたことが想像できる。


ちなみに賽の河原とは、親に先立って亡くなったこどもが行く三途の川の河原ことで、ここで父母への供養としてケルンをつくる場所でもある。絶えずそのケルンを壊しに鬼がやってくるが、地蔵菩薩によって救われるのだという。ここを地蔵岳と呼ぶ由来のひとつに出合ったようで興味深い。


こうした民間信仰が標高2800mの山稜にあるのだから驚きだが、これと同じような風習を山旅の途でよく見かける。おなじ山梨県なら、夢窓疎石の修行の地として知られる山梨百名山・小楢山だ。その登山口にあたる焼山峠には「子授け地蔵」がある。伊豆は大仁の城山登山口近くでも「子育地蔵尊」を見かけた。いずれも車で行ける場所なので、この地蔵岳ほど過酷な願掛けにはならない。

鳳凰の起源と蹴裂伝説

鳳凰という名称の由来は、オベリスクを大日如来と見立てて「法皇山」としたとか、奈良田に湯治で滞留した法皇(出家した上皇・ここでは孝謙天皇のこと)が登ったからとか、これまた諸説ありだ。とはいえ、孝謙天皇は、のちに自らが寵愛した道鏡(ここでは深く触れないが)に「法王」の称号を与えている。言葉を追うだけでは不確かだが、そういうエピソードを思い合わせると、孝謙天皇と山梨との関係には好奇心をくすぐられる。

ところで、甲府盆地が湖だったという話を聞いたことがあるだろうか。山梨を旅する中でよく耳にする伝説だが、その中に鳳凰山が関係するストーリーがある。そのむかし、大洪水によって水面下に沈んだ甲斐国を、蹴裂明神が山を蹴り裂いて水を抜き、肥沃な野に稲作をもたらした。そのときに手を組んだのが、鳳凰山に住む仙人(あるいは地蔵菩薩)だったというものだ。こうした“蹴裂伝説”は日本各地に存在し、太古の日本が湖沼だらけだったことを連想させる。山に対し雨乞いをして五穀豊穣を祈ることはあっても、水を抜いて豊作を見込める土地をつくるというのだから面白い。


五穀豊穣といえば、鳳凰山の最高峰・観音岳に、農牛(のうし)と呼ばれる巨大な生き物がいる。雪解けの季節、山肌に出現する黒い牛の模様のことだが、麓ではこれを合図に農作業が忙しくなる。オベリスクといい農牛といい、山に登らずとも麓から眺める山岳展望だけで、鳳凰ならではの楽しみ方があるのもよいではないか。

大内 征

大内 征

地域の歴史や伝承を辿りながら山を歩き、日本のローカルの魅力を探究。ピークハントにとらわれない新しい登山スタイルを模索し、足で覚えた山旅の愉しみ方を言葉と写真と小話で伝えている。 NHKラジオ深夜便「旅の達人~低い山を目指せ!」レギュラー、著書に『低山トラベル』『とっておき!低山トラベル』(二見書房)など。2017年は山岳雑誌・岳人で「歴史の山旅」を連載、NHK Eテレ「趣味どきっ! 大人の歩き旅」およびBS日テレ「低山トラベラー」で山の案内人をつとめ、好評を博した。 雑誌寄稿やメディア出演の他、登山や暮らしをテーマにした各地の取り組みに参画するなど、これまでにない「山×歴史×ソーシャル」の活動領域を切り拓いている。宮城県仙台市出身。