祈りの山projectロゴ      

東奥に鎮座する“黄金”の神の島


日本各地に伝わる「民間信仰」というものが面白くて、特に低山を歩いているとそうした“不確か”な話に次々と出合う。地元でむかしから唱えられているご利益みたいなものだったり、由来のよくわからない禁忌だったり。よくよく考えてみれば、「信仰」というものは上意下達の指揮下におかれるものではなく、いわば勝手に“片思い”することに近いものだったはずだ。地元の古老に話を聞くと、ゆるい習わしみたいなものだから「まぁ結局のところ神頼みなんじゃ」といって笑い飛ばす。山麓に暮らす里人と山との関係は、このくらいの距離感でいいのだと、ぼくは思っている。


さて、宮城県の海上に、黄金の神坐す島がある。金華山という名のその島には「3年連続してお詣りするとお金に困らない」という民間信仰が伝わり、江戸時代には金華山詣でがずいぶん流行したそうだ。その気になれば、最短1年と2日で“3年”を達成できるわけだが、ぼくはうっかり丁寧にも、毎年お詣りを続けて6年になる。お金のご利益は気にならないではないが、そもそも島ならではのダイナミックな自然と、そして積み重ねられた歴史文化の深さとを、とにかく気に入っている。今年も島に渡る予定で、そうなれば7年連続となる。


金華山詣では、歴史的な背景を知ることから旅をはじめると、ますます面白い。
そのむかし、聖武天皇による国家プロジェクト「奈良の大仏(東大寺盧舎那仏)」が最終局面に差し掛かっており、完成のための最後のピースとして大量の金を必要としていた。そこに陸奥国の涌谷でまとまった産金があったと知らせが届く。日本初の金の献上がなされたことを祝して、当時すでに霊山として知られたこの島を、万葉歌人・大伴家持が詠んだ「すめろきの 御代栄えむと 東なる みちのく山に 金花咲く」から名をとって、金花山(金華山)と呼ぶようになった。真言密教の大金寺の成立によって多くの修験者が島に渡り、弁財天が祀られ、現在の黄金山神社には鉱物の神・金山毘古神が祀られている。こうした歴史的な背景から「金」に対する民間信仰が芽生え、江戸時代には多くの参拝者を熱中させたというわけだ。

「金華山」という、祈りの島

島とは、海面から突き出した山に鳥がいる様子を表しているのだそうだ。つまり意味としては島と山はほぼ同義である。金華山はまさに海鳥が賑やかな島で、最高地点は445mになる。山頂には黄金山神社の奥宮があり、大海祇神と弁財天が祀られている。以前、テレビ番組の撮影で俳優さんたちを案内したことがあるが、芸能の神でもある弁天さまを前にして、お二方とも静かに手を合わせていたのが印象的だった。奥宮から南西に道を伝うと尾根のさきに行くことができる。そこは展望地になっており、リアス式海岸の複雑な入り江を海の外から眺める絶佳には、どんな旅人でも言葉を失うだろう。


新嘗祭になると、秋の収穫の感謝と翌年の実りを祈りに、地元石巻の方々や、日本各地の講の方々が奥宮を目指す。ある年、作物を手にした家族連れが、おばあちゃんの先導で山頂を目指すところに居合わせたことがある。元気なこどもの声が山中にこだまし、祈りの山を大切にするこの一家を歓迎するかのように、さわやかな秋風が心地よくふき流れた。その家族は、それぞれが手にしていた野菜や果物を、そっとワダツミノカミの前にお供えしていた。


ところで、2011年3月11日の東日本大震災は、金華山に大きな爪痕を残した。震源地からもっとも近い陸地であり、金華山瀬戸の海水がすべて引いてしまい、牡鹿半島に続く海底が露わになったそうだ。それだけ大きな津波があったことになる。当時は訪れる人が激減したが、多くのボランティアのおかげで港も参道も再整備され、近年は島に渡る人が戻りつつあるのがうれしい。

どんなハイカーにとっても、きっと特別な山があるだろう。ぼくにとってこの金華山は特別な存在で、感謝と希望を祈らずにはいられない山でもある。あの絶景中の絶景を眺めに、今年も奥宮を訪れようと思う。

大内 征

大内 征

地域の歴史や伝承を辿りながら山を歩き、日本のローカルの魅力を探究。ピークハントにとらわれない新しい登山スタイルを模索し、足で覚えた山旅の愉しみ方を言葉と写真と小話で伝えている。 NHKラジオ深夜便「旅の達人~低い山を目指せ!」レギュラー、著書に『低山トラベル』『とっておき!低山トラベル』(二見書房)など。2017年は山岳雑誌・岳人で「歴史の山旅」を連載、NHK Eテレ「趣味どきっ! 大人の歩き旅」およびBS日テレ「低山トラベラー」で山の案内人をつとめ、好評を博した。 雑誌寄稿やメディア出演の他、登山や暮らしをテーマにした各地の取り組みに参画するなど、これまでにない「山×歴史×ソーシャル」の活動領域を切り拓いている。宮城県仙台市出身。