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山岳信仰以前。太陽と山

北海道の鹿部町、七飯町、森町にまたがるは、標高1113メートルの砂原岳、892メートルの隅田盛、1131メートルの剣ケ峰の三つのピークがある美しい山です。
もともとは一つの峰の山だったものが、1640年の大噴火で山が崩れ落ち、せき止められた水の流れが堰止湖になり、大量の土砂が内浦湾に流れ込み津波が起こり、700人余りが亡くなる被害を出し、その後も1856年、1929年などにも噴火を繰り返し、現在の姿となったのだそうです。

堰止湖の大沼、小沼、蓴菜(じゅんさい)沼は明治天皇が北海道行幸の際に訪れるなど景勝地として知られるようになり、1958年には国定公園に指定されました。僕が道南を訪れたときにも、駒ケ岳やその周辺の自然の美しさはひときわ印象深いものと感じました。はじめ駒ケ岳は二つの峰の山という印象が強かったのですが、それは見る角度によって形が変わるからなのだそうです。

僕が道南を訪れ行ってみたかったのは、駒ケ岳近くにある、森町の鷲ノ木遺跡です。海岸線から1キロほど内陸にある縄文時代後期の遺跡は、竪穴墓域と道内最大の環状列石があり、駒ヶ岳から吹き出される火山灰に覆われていたため、コーティングされ守られるように、よい状態で保存されてきました。
ストーンサークルとも呼ばれる環状列石は、その名の通り、環状、つまり輪のように石が配置され、確かなことはわからないのですが、石の位置を天体の運行と重ね合わせることによって暦を知ろうとしたものだとか、祭祀に関わるものと推測されています。
この鷲ノ木遺跡の環状列石も、立冬の日没が駒ケ岳山頂と石を結ぶように設計されているのと考えられており、現在の僕たちがイメージするような山岳信仰がなかった縄文時代の人たちが、自然とどのような関係を築いていたのか、世界をどのように把握していたのかを垣間見ることができるようです。
ただ細い山道を進んでいく、わかりにくい場所にある鷲ノ木遺跡は現在公開されておらず、僕が訪れたときは工事現場のようで、公開に向けて整備中の状態でした。

日本では現在180ほどの環状列石が見つっており、そのうちの4割が秋田県にあります。よく知られているのが鹿角市の縄文時代後期の大湯環状列石で、ここには二つの環状列石と日時計状組み石があり、冬至と夏至の日の入りと日の出が二つの環状列石の中心を一直線に結ぶように設計されています。
北東2キロの場所には環状列石と暦との関連が推測される黒又山があり、山中から岩偶など多数の出土品が見つかり、信仰上重要な場所であったと考えられています。

またランドマークと季節の運行を実感できる場所としては、北海道の平取町二風谷のオプシヌプリが思い浮かびます。アイヌ語で「穴空き山」というオプシヌプリでは、夏至の時期に山頂近くにある、幅約14メートルのくぼみに沈む太陽がスッポリと入る、神秘的な光景を見ることができます。
ここはもともと、完璧な穴だったものが、1898年に起きた水害で崩れてしまい、現在のくぼみ状の形になったのだそうです。山に空いた穴に夏至の太陽が沈んでいく様子をみてみたかった……と残念な気持ちがします。
神話では、オキクルミカムイが矢で射抜いた穴とされ、僕が知っている範囲では、ここで特別な夏至の祭祀がおこなわれていたことはないようですが、ずっと昔の人たちがどのような思いで山の穴に入る夏至の太陽を眺めていたのか、気になるところです。

日本文化の中で、山岳信仰を担った山伏は、古くはヒジリと呼ばれていました。「聖」の文字を思い浮かべる人が多いかと思いますが、もともとは天体の運行をあらわす日を知る人という意味で「日知り」だったと考えられています。それを踏まえると、縄文時代以来の、日本列島文化の中の季節の把握の仕方には、山伏が山岳信仰以前に遡るルーツを持つ可能性が示唆されているのではないかと思っています。
日本列島に山岳信仰が広がり、山伏が仏教、神道、道教的な思想を各地に伝えていったときに、日本列島で暮らしていた人たちが持っていた文化に大きな変化が起きたものと考えられます。例えば仏教は殺生を禁じますが、狩猟民が仏教思想と出会うことで、失われた習俗、文化は小さなものではなかったようです。
僕は山伏として活動していますが、一面では、山伏以前の日本列島の姿に出会いたくて、山伏の文化に身を置いているのだと言うこともできるかもしれません。そんな僕の関心に答えてくれるのが、北海道駒ケ岳や鷲ノ木遺跡をはじめ古層の文化と自然なのです。

北海道駒ヶ岳の地図はこちらから
https://yamap.co.jp/map/1841

坂本 大三郎

坂本 大三郎

東北、出羽三山を拠点に活動する山伏。春には山菜を採り、夏には山に籠り、秋には各地の祭りをたずね、冬は雪に埋もれて暮らす。美術作家として「山形ビエンナーレ」、「瀬戸内国際芸術祭」等に参加。著書に『山伏と僕(リトルモア)』、『山伏ノート』。