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九州を代表する山岳信仰の低山

九州・豊前の山の文化は、とても濃厚だ。

ここは福岡の山岳信仰と国東の六郷満山とが接する山域であり、鬼の伝承があちこちに伝わっている。中でも“くぼ”こと求菩提山は、山頂に擁する磐座群にたびたび神が降臨した聖地と伝わり、山腹には、まさに鬼が祀られし「鬼神社」がある。神と鬼という、一見相反する存在がこの山では共存していて、非常に興味深い。

早春に訪れた豊前の太陽は、植物たちに目覚めのときを告げるかのようにぬくい。田舎道はジンジンと、せせらぎはキラキラと、音を鳴らすように照らされている。ハンドルを握るぼくは、気づくと鼻歌などをやっていた。やがて正面に、ひと目でそれとわかる山容が現れた。祈りの山、求菩提山との初対面の瞬間であった。

英彦山、宝満山、そしてこの求菩提山は、福岡きっての山岳信仰の山だ。求菩提山にとなり合う犬ヶ岳はさらに秘められた聖地であり、この犬ヶ岳を神体山とした“遥拝所”という性質が求菩提山にはある。山深い犬ヶ岳まで行くことができない者が、求菩提の頂で祈るというわけだ。明治時代のはじめのころまで、一山五百坊といわれるほど数多の山伏が暮らし、修行を重ねていたそうだ。

“異形の神”の宿る山

日本各地の低山に、鬼に代表される“異形”の神がある。その多くは元来悪いものではなく、ときの為政者によって悪者に仕立てられてしまったか、まさしく“異形”だったために恐れられ、疎んじられたか。いずれにしても鬼の正体を思うに、超然たる神としての存在というよりは、人里に近いところに棲みついた“異国からやってきたもの”くらいの存在だったのかもしれない。ぼくには、鬼すなわち悪いもの、とは、どうも思えないところがある。

求菩提山の山腹には、一夜で石段を作れという権現さまの命を成すことができず、作業を放り出して“夜逃げ”した鬼が作り残した石段がある。鬼を追いだすエピソードとして語られる地元の民話だが、ぼくの頭の中では追い出されたくない鬼たちが必死になって石段を作ったことを妄想する。チームワークはよかっただろうし、作業を分担しあった成果が、この石段なのだ。そう考えると、鬼とて人と同じく、欲もあれば焦りもする、愛嬌のある存在だといえるだろう。

この長い苔むす階段を「鬼のあぶみ」と呼び、その入口に赤鬼の面が掲げられた「鬼神社」が鎮まる。はるか昔のこと、猛覚魔卜仙(もうかくまぼくせん)なる人物が求菩提山を開き、この山に連なる犬ヶ岳の八鬼を退治して甕に封じたそうだ。この時の八鬼の霊を祀ったのが、まさに求菩提山の「鬼神社」だとか。春にはお田植祭で賑わい、ここに鬼が宿るとは想像できないほど、里人が賑やかに出入りする明るい山でもある。

暮らしの中にある、祈りの習慣

まだ冬の気配が残る求菩提山で、不思議な出会いがあった。山頂の国玉神社上宮で経文を唱える姿は、まさに神仏混交時代の修験者たちを思わせるものだったが、服装から察するにずいぶん若い女性だったように思う。その姿はいつもの暮らしの一部といった風で、この山には祈りに登ってくる地元の人がいまなおいるという事実に、ぼくはいささか興奮した。レジャー登山とは異なる、暮らしの延長にある祈りの山、求菩提山の一面を見た気がした。

そういえば、登山口となる求菩提資料館前のバス停には、鴉天狗が「やあ!」とばかりに出迎えてくれる。そこには「うさ・らか・ひこ・求菩 よくお詣り下さいました」とある。なにやら呪文めいたフレーズに、しばし首をかしげることだろう。これは「宇佐、羅漢寺、英彦山、そして求菩提山」を意味し、豊前の東西に並ぶ祈りの地をすべてお詣りすれば、極楽浄土へ行けるという意味だ。つぎに歩く“祈りの山”を、この中から選んでみるのも面白いだろう。

大内 征

大内 征

地域の歴史や伝承を辿りながら山を歩き、日本のローカルの魅力を探究。ピークハントにとらわれない新しい登山スタイルを模索し、足で覚えた山旅の愉しみ方を言葉と写真と小話で伝えている。 NHKラジオ深夜便「旅の達人~低い山を目指せ!」レギュラー、著書に『低山トラベル』『とっておき!低山トラベル』(二見書房)など。2017年は山岳雑誌・岳人で「歴史の山旅」を連載、NHK Eテレ「趣味どきっ! 大人の歩き旅」およびBS日テレ「低山トラベラー」で山の案内人をつとめ、好評を博した。 雑誌寄稿やメディア出演の他、登山や暮らしをテーマにした各地の取り組みに参画するなど、これまでにない「山×歴史×ソーシャル」の活動領域を切り拓いている。宮城県仙台市出身。