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縄文〜古代〜中世に続く神と精霊の世界

勇壮な御柱祭で知られる長野県の諏訪大社。諏訪周辺には数多くの縄文遺跡が残されており、諏訪はとても古い時代の信仰のおもかげが残されていると考えられ、その代表的な存在としてミシャクジという謎多き神がいます。
伊那山地の北端に標高1650メートルの守屋山があり、山頂からは全方位に日本アルプスの山々など雄大な自然が展望できる、登山客にも人気の山となっています。
現在では多くの人で賑わうこの山ですが、中世の諏訪信仰に関する『守矢文書』には、死者を出してはならない不可侵の聖域であったことが記されています。諏訪には上社と下社がありますが、ここでは守屋山に関連が深い上社を中心に話を進めたいと思います。

『古事記』などに、タケミカヅチがオオクニヌシに国譲りするように迫り、オオクニヌシの次男であるタケミナカタがそれに反対し、タケミカヅチと力比べをするが負けてしまい、諏訪まで逃れ、以後この土地の外へは出ないことを誓ったという国譲りの神話があります。
また『諏訪大明神画詞(すわだいみょうじんえことば)』によれば、タケミカヅチに追われたタケミナカタが諏訪へ入った時には、土着のモレヤ神と争いになり、モレヤ神は鉄輪を武具に戦うものの敗北し、モレヤ神はタケミナカタの支配下に入ったとされます。
これらの神話は実際の出来事を背景に物語が作られているとも推測されており、諏訪大社の祭神となっているタケミナカタが、かつて諏訪の外からやって来た勢力をあらわし、その末裔である神氏が、諏訪の祭政権を握る「大祝(おおほうり)」を務め、土着勢力の代表者であったと考えられる守矢氏が神事を執り仕切る「神長(じんちょう)」という役割担うという構造にもみてとれます。
ただ、モレヤ神が鉄の武器を持って戦っているところをみると、モレヤ神の一族も、製鉄技術を持った渡来系の人々であったことが考えられます。このあたりの解釈は研究者によって様々な違いがあり、一筋縄では理解が及ばない諏訪信仰の複雑さの原因のひとつともなっています。

守屋山はその名からも守矢氏との関連の深さが考えられますが、江戸期末に諏訪の神官だった井出道貞が記した『信濃奇勝録』には、守屋山がかつて「森山」と呼ばれていたとの旨が書かれています。
森山という山名は山岳信仰を考える上で非常に重要で、モリやムレやモロといった言葉は、そこが聖なるものが宿る場、あるいは祭祀に関連のある場であることをあらわしています。森山であった守屋山も、山の麓にある上社が建立される以前の祭場であったのではないかと推測され、麓には「水眼の流れ」という水場があり、良い水場がある場所に縄文集落が作られることが多いように、この場所が諏訪信仰の始まりの場所だったと考える研究者もいます。
僕が暮らしている東北にもモリという言葉のつく山は多くあり、それらの山の多くは、うかつに足を踏み入れてはならない死者の宿る聖地と考えられています。また邪馬台国の卑弥呼の墓ではないかとも推測される箸墓古墳にほど近い奈良県桜井市にある美輪山も古くはミモロヤマといい、山自体がご神体である禁足地で、モリ、モレ、モロといった名を持つ山の性格をうかがい知ることができます。

諏訪信仰では神氏一族から8歳くらいの童児が、神を入れる器である大祝として選ばれ、日光に触れること、大地に足をつけること、性交することなど、多くのタブーが課せられ、日常の行いが長期間禁止される精進をしたのちに、神長守矢氏から神を憑けられ、大祝自体が御神体となります。
大祝には、その分身とも考えられる「神使(おこう)」という存在がいて、周辺集落から選ばれた6名の幼児が、一年の間、神の使いを務めたのでした。
大祝や神使は、ほとんどの時間を御室という密閉された暗闇の中で過ごし、神懸りしやすい、ある種の異常な精神状態におかれたとされ、一年の任務を終えた神使の幼い心身は再起が難しい状態になったとか、あるいは集落の境まで連れられて殺害されたとの話も伝わっています。

この幼い神の使いにとり憑く神がミシャクジだと言われます。ミシャクジは石や樹木に関係が深い神・精霊であるとされ、諏訪では御左口神、他の地域では守宮神や石神や宿神という名であらわされることもあります。とても古い由来を持つ神であるとされ、関心を持った柳田國男はミシャクジを境の神と考え、『石神問答』や『毛坊主考』といった論考で繰り返し取り上げました。

また世阿弥の娘婿である猿楽師の金春禅竹は、能楽のなかで最も重要な存在であるとされる翁の正体は宿神であると、秘伝書である『妙宿集』に記しました。宿神がミシャクジであるなら、古層の神であるミシャクジが芸能の神でもあるということにもなり、ただ古い時代に信仰されていた神というだけではなく、日本文化の根元に据えられるような重要な存在だと考えられます。
ミシャクジに関しては、これまで多くの研究者によって様々な解釈がなされ、扱われる文化の幅も膨大です。
現在の登山客から親しまれる守屋山の雰囲気からはちょっと想像しにくい、戦慄するような側面もある古い文化ですが、うかつに足を踏み入れることを拒絶されるほど深い謎に満ちた信仰の、核心にふれる土地が諏訪であり、守屋山であるのだと僕は考えています。

坂本 大三郎

坂本 大三郎

東北、出羽三山を拠点に活動する山伏。春には山菜を採り、夏には山に籠り、秋には各地の祭りをたずね、冬は雪に埋もれて暮らす。美術作家として「山形ビエンナーレ」、「瀬戸内国際芸術祭」等に参加。著書に『山伏と僕(リトルモア)』、『山伏ノート』。