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南と北が交わる山と土着信仰


ナマハゲで知られる秋田県の男鹿半島には男鹿三山と呼ばれる山々があります。標高565メートルの真山、715メートルの本山、617メートルの毛無山です。毛無山ではなく寒風山が三山の一角とされることもあるようです。

地図で見ると秋田県の北部に日本海に突き出すように男鹿半島の出っ張りがあり、その根本にはかつて日本で二番目に大きな湖であった八郎潟がありました。熊野で修行した山伏が終の住処を求めて青森の十和田湖までやってきて、そこで暮らしていた八郎太郎という竜と戦い、敗れた八郎太郎が日本海側まで逃げてきて、新たに湖を作って暮らしたのが八郎潟と伝えられますが、八郎潟は昭和31年から進められた干拓事業によって、その大部分は埋め立てられてしまいました。八郎太郎は踏んだり蹴ったりです。

車に乗って八郎潟を越え、男鹿半島に入ると、そこは島のような雰囲気が漂い、畑や田んぼや、漁村、森などの風景に、どこか古い日本を訪れたような懐かしい気持ちがしてきます。

真山から本山を経て毛無山までは登山道が伸び、縦走することができます。本山には現在、赤神神社と五社堂がありますが、もともとは赤神山日積寺永禅院という寺院があり、明治の廃仏毀釈以降に赤神神社となりました。

真山神社の方も、赤神を祀る赤神神社だったものが明治以降に真山神社となり、これら真山と本山は修験道の聖地として長く信仰されてきた山でした。

隣接する修験の山があると利権争いが起きるのは、日本各地の山でみられることですが、この真山と本山の山伏にもかつて争いがあり、本山の古い資料には真山を「新山」と書き記してあり、これらの山が分離したものではないかと民俗学者の柳田國男は推測しました。また山の政治的な争いによって、麓の住民の文化にも不必要な変化が生じたともして、例えば赤神神社の縁起に残された、赤神の正体が2000年前に天からおりてきた漢の武帝であるという話をあげています。僕も、男鹿半島の神様と2000年前の漢の皇帝を結びつけるのは、ちょっと取って付けたような話かなと思います。
こうしたこともあり、男鹿半島のナマハゲには「漢の武帝説」「修験者説」「山の神説」「漂流異邦人説」といった起源説が、時代や状況に影響され生まれていったようです。

男鹿半島では現在50ほどの集落で大晦日にナマハゲ行事がおこなわれているそうですが、同じナマハゲといっても、その集落ごとに被る面や、所作など、微妙な違いがあるようです。

僕は真山地区で大晦日にナマハゲが集落の家々を一緒にまわったことがありました。真山地区では地元の青年団がナマハゲになるのですが、まずはじめに公民館に集合した青年団たちと、それを束ねる会長がご馳走をのせた膳の前に座り、会長が口に含んだ日本酒をナマハゲの面に吹きかけ、それを持って青年団たちが一度部屋を出て、しばらくすると叫び声とともに青年団がナマハゲに変身してあらわれます。
さっきまで、ふつうのお兄ちゃんたちだった人が、目の前で聖なる存在であるナマハゲに変わる瞬間は、驚きであるとともに、古い信仰のおもかげが今にも残されているのを目撃できたようで感動もしました。
そこからは、よくテレビなどでも目にする「泣く子はいねが」と子供を脅すナマハゲとして家々をまわっていきます。後をついて歩き、その様子をみていた僕は、ふと東北秋田の寒い大晦日の祭りに、南方の面影を感じていました。

沖縄の八重山諸島にはアカマタ・クロマタという精霊があらわれる秘祭があり、以前その祭りをみたことがあった僕は、ナマハゲとアカマタ・クロマタがそっくりであったことに驚きを感じたのでした。そのことについては柳田國男も同様の感想を持ったらしく、『雪国の春』の中で「ところが海を越えてはるか南の、八重山群島の村々においては、また北の果の男鹿半島と同じように、いたって謹厳なる信仰をもって、これを迎えて一年の祝い言を聞こうとする習いがある。<中略>それは変化のいろいろの階段が地方的に異なるというのみで、本来一つの根源に出ずることは、比較をした人ならば疑うことができぬ。」と述べています。
日本列島に渡ってきた人のルートとしては、シベリア・北海道方面の北方ルート、中国大陸、朝鮮半島から九州に渡った南方ルート、フィリピンや台湾方面から渡ってきた海洋ルートなどが想定されますが、東北のナマハゲのなかに海洋ルートの文化が見え隠れするのはとても興味深いです。

また、山の神である赤神には、北方から渡ってきた人たちの物語が込められているのではないかと思われるところがあります。
昔話には「男鹿半島に住んでいた赤神が、十和田湖を訪れた際に十和田湖の女神に一目惚れをしてしまった。竜飛岬には荒々しい黒神が住んでいて、十和田から女神の唄が聞こえてきて行ってみると、黒神も女神に一目惚れしてしまった。女神は優しい赤神とたくましい黒神の間で揺れ動いたが、やがて赤神と黒神は女神をめぐって喧嘩を始めてしまい、赤神は敗れて男鹿の洞窟へ逃げて行った。勝った黒神は十和田の女神を妻に迎えようとしたが、女神は姿を消し、赤神のもとへ去ってしまった。喧嘩には勝ったが、女神を失った黒神は津軽の竜飛岬へ帰り、北へ向かって深いため息をついた。そのため息があまりにもひどかったので、大地は音をたて裂けてしまい、津軽と北海道は離れて津軽海峡ができた」という話です。
氷河期には北海道から青森には陸伝いに渡ってくることができたという説があり、気温が上昇してくると津軽海峡は海になったとされます。この説は研究者によって意見がわかれ結論は出ていませんが、物語の中の黒神のため息が、氷河期の氷を溶かす暖かな風であったようにも思えてきます。
それが真実か否かは置いておくとしても、男鹿半島の山に伝えられている文化の中に北と南の古いおもかげを感じられるのは、とても面白いことだと僕は思います。

坂本 大三郎

坂本 大三郎

東北、出羽三山を拠点に活動する山伏。春には山菜を採り、夏には山に籠り、秋には各地の祭りをたずね、冬は雪に埋もれて暮らす。美術作家として「山形ビエンナーレ」、「瀬戸内国際芸術祭」等に参加。著書に『山伏と僕(リトルモア)』、『山伏ノート』。